院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


砂で作ったスノーマン


 四才になる息子が砂をかき集めながら繰り返す。小さな指と指の間から白い砂がこぼれ落ちる。
「これに海の水を汲んできて」
青いバケツを渡す。
「はーい」勢いよく波打ち際まで駆けていった息子は、石投げをしている小学生の兄弟を見て立ち止まる。平たい石が何度か水面をかすめて波にきえるのをおもしろそうに眺めている。
 去年のクリスマス、レイモンド・ブリックスの「スノーマン」という絵本を買ってきた。あまり興味を示さなかったようにみえた息子が、それ以来、砂遊びをするときはいつでも、スノーマン、スノーマンと言いながら砂を積み上げる。もっとも彼はスノーマンを作ることより、彼が作り上げたスノーマンを、正義のヒーローになった気分で一気に壊すことが好きなのだ。小学生の兄弟が走り去ったあと、息子は蟹を見つけたらしく、「かにさん、かにさん」と言いながら腰をかがめて歩き出す。波が小さな素足に寄せては引き、引いては寄せる。

 いつか息子に話してあげよう。波のエネルギーの源は月の引力なんだ、万有引力ってすごいんだよ。無限遠まで瞬時に伝わるんだ。そして砂浜の砂粒ひとつひとつにも、海水の水分子一個一個にも、すべてのものに均等に作用するんだ。万有引力は日常の尺度でみるときわめて弱い力なんだけど、天体の巨大な質量のおかげで宇宙を支配する力になっているんだ。親が子を思う気持ち、子供が親を思う気持ち、あるいは兄弟愛、万有引力に似ているなって思うんだ。いつも意識しているわけじゃないけど、身体の細胞ひとつひとつに働きかける力を確かに感じる時がある。
 君もいつか少年から青年になり、逞しい翼を得て、大空を自由に飛びたいと思う時が来る。太陽まで一気に駆け上がりたいと思うだろう。そんなとき大地の引力すなわち重力を重い鎖と感じるかも知れない。でも翼に生まれる揚力は重力と絶妙なバランスを取ることによってはじめて、安定した飛行を約束する。イカルスの翼の挿話はけっして遠い日の絵空事ではない。将来の息子への説教めいたことを考えている自分がなんだかおかしい。

 蟹を追いかけるのにあきた息子が、海水を半分ほど入れたバケツを持って戻ってくる。砂山に海水をしみこませ、スノーマンを作っていく。今日はいつになく大作だ。どこから拾ってきたのか、息子が大きな葉っぱをスノーマンの頭に乗せて
「これぼうしだよ。」
黒い石を埋め込んで目を作る。丸い石で鼻。珊瑚のかけらで口。
「どう、似てる?」と聞くと、息子は
「怒っているみたいだね、恐そうだよ。」
黒い石を動かして目尻を少し下げる。
「悲しそうな顔。」
口元を緩めてやっと笑顔のスノーマンになる。

「微妙だね。」と息子。微妙なんて言葉いつ覚えたんだろうと考えていると、例のいたずら坊の視線でのぞき込む。何かわるさをしようとするとき、事前に許しを得るような仕草で大人の顔をのぞき込むのが彼の癖。いつものようにはでに壊したいんだな。せっかく作ったスノーマンなのにもう壊すの?と思いつつも軽く頷く。息子はスノーマンに向かって、ひととおり戦いのポーズをとったあと、急に考えが変わったのか「スノーマンと僕、仲良し。」と言いながら、壊すのをやめて駆け寄ってくる。
珊瑚のかけらで作った口元から、さらさらと砂がこぼれ落ちる。重力の力で。
「いま、スノーマン、笑ったよ。」と言って息子の手を握った。


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